母の日

こんにちは🌷まんまるです

母の日が先日ありましたね。我が家は夫が気をきかせてカーネーションを買ってきてくれました。息子からということにしたかったようですが肝心の息子はまだ母の日の概念がなく、結局息子のもののようになりました(笑)

目次

❝母❞とは

私は実の母が嫌いです。

いつから?ときかれても正確にはわかりませんがたぶんずっと嫌いでした。

どこが嫌いか、、、

例えば、、、人の悪口をいう(誰でも嫌いな人はいますから悪口を言いたくなるのは必ずしも悪いわけではないと思いますが問題なのはそれを娘に言うこと)さっきまで仲良さそうに話していたママ友の悪口を家に帰ってくるなり言い出す。父の悪口。自分の友達の悪口。私の友達の悪口。先生の悪口。人を見下して自分がいかに優秀かを話したいタイプ。

専業主婦なのに家事をしない。育児も掃除も自分の母親に丸投げ。

昔、私が小学生のころ母に学校の楽しかった話がしたくて雑誌を読んでた母にバーッと話をしていたら「静かにしてよ!今雑誌みてるんだから!!!」とキレられたことがある。

多分、母はいつまでたっても娘気分だったのでしょう。

だから私も自然と母とは距離を置くことにしました。

それでも❝母❞だという呪縛

日本の法律には子どもが親と完全に縁を切ることはできません。

子どもは親を選べないのに。

だから、おかしな親だった場合、子どもにできるのはひたすら逃げること。

そして親不孝といわれることに耐えること。

そもそも親不孝という言葉おかしくないか。なぜ子どもが親を大切にするのがあたりまえみたいになるのだろう。

その考えがきっと多くの子どもたちを苦しめているのに。

❝母の日❞で苦しむ子どもたち

もともと❝母の日❞とはお花屋さんが花を売りたくて始めた行事と聞いたことがある。

それに便乗して多くの小売店や百貨店が4月~5月にかけて❝もうすぐ母の日❞❝母に感謝を❞と掲げてくる。

その見出しを見るたびに私は思う。

母がいない人。母が嫌いな人。母に捨てられた人。母になれなかった人。母を嫌いな、母に感謝できない自分に落ち度があるかのように❝母の日❞が心をえぐる瞬間が街にあふれる。

感謝とはしようと思ってするものではない。日頃の積み重ねが溢れて勝手に湧き上がる気持ちだと思う。だから本来ならば母が好きな人はその人のタイミングで母の日を創ればいいのだ。

保育現場の❝母の日❞❝父の日❞の意味

私が勤めていた幼稚園でも母の日製作、父の日製作があった。でも、私はこれに反対だった。なぜなら母がいない子、父がいない子がいるからだ。

もうそろそろ父がいて母がいてあたりまえという概念を教育現場からなくして欲しい。

母になった私が思うこと・・・

自分が親になると親のありがたさがわかると言われるが、私は今のところわからないというか更にわからなくなった。

子どもが産まれ、疲れて心身共にヘトヘトだがやはり息子たちは可愛い。自分の命よりも大切だと思う。

だから何よりも子どもの幸せを願う。そのために今日も子どもたちがハウスダストにやられないように掃除をするし、コロナにやられないように除菌をするし、おいしいものを食べられるように買い物をする。

怪我をしないように家に危険がないか見回るし、できるだけ一緒に触れ合う時間を作ってあげたいから効率のいい予定を何度もシュミレーションする。

私の母や父からは学べなかった❝親❞という役割を必死に想像しながら今日も私は母として子どもを守る。

たまにふと思うのは自分の子どもが男の子でよかったと思うことがある。もし女の子だったらきっと自分と重ね合わせて苦しくなることがあるかもしれない。

たぶん母の気持ちは一生私は理解できないと思うし和解もしないだろう。

でも、だからこそできることがあるし、こうなっちゃいけないと思うことができる。

私も子育てはうまくできないけれど、私の息子たちは私より母の日を何とも思わずにスルーできる子に育てたいと願う。

そしていつか私と似たような親に頼りたくない、頼れないママたちを何かしらの形で助ける仕事ができたらいいなと思う今日この頃です。

でも息子や夫のおかげで母の日がこれから嬉しい日になればいいなとも思います。