子育てが❝弧育て❞になっていませんか?~産後うつだけじゃない。今の子育ての過酷さについて私が今思うこと・・・

こんにちは🌼まんまるです。

わりと年配の方からすると今の子育ては昔と比べて楽になったとか保育園なんて子どもが可哀そうとか思われるケースが多いのか、子育てママに配慮ない言葉をかける人もいらっしゃるかと思います。

本当に楽になったのか??私は疑問です。だって今の時代、すれ違う親御さんたちの多くが顔が死んでます。疲労困憊、育児なんて楽しくないって顔。きっと私も似たような顔してるのかな・・・と感じることもありました。

❝今❞子育てに奮闘している私が感じるこの時代の子育てのしづらさ、日々頑張っているママやパパについて今日は考えてみたいと思います。

目次

何が❝楽❞になり何が❝苦❞になったのか

私が子どものころというともう30年以上前の話になりますが、そのころを比べると確かに育児用品や家電などは今と比べものにならないくらい乏しかったと思います。今は粉ミルクも母乳と比べものにならないくらい進化していますし、お出掛けに便利な液体ミルクなんて昔はなかったですよね。オムツも品質がいいものが現代は当たりまえになっていますし、家電だってあの頃はルンバも食洗器もなかったでしょう。

そういう目に見えるものは確かに豊かになったと思います。だからきっと昔の子育てしかしらない方は目先のものをみて「便利なものが増えて楽になったのになんで大変そうな顔してるの?」と思うのかもしれません。

でも、子育てって利便性のものを揃えば楽になるのでしょうか。

私の考えはNOです。確かに私が幼いときは家事も育児も時間がかかったかもしれません。でもそこには❝孤独❞はなかったように思うのです。

きっと母なり父なり子育てをしているときに顔を合わせて語り合える仲間が今よりみつかりやすかったと思うのです。

ちょっとした育児の悩みや不満や喜びをちょろっと聞いて共感してくれる人ーそんな人今の特に未就学児を育てているママにいますか?

いない人のほうが多いと私は感じています。これが子育てが弧育てになる一番の要因ではないでしょうか。

3歳までは自分で育てるのがいい・・・といわれる

私も実際に何人かの人から言われたことがあります。

私も幼稚園で働いていたので確かに赤ちゃんのときから親と離れるのは可愛そうと思っていたこともあります。

愛着の問題など実際に3歳までに子どもを預けるリスクがあることも一応専門分野として理解しているつもりです。

でも、それはそれを叶えるだけの地盤がしっかりしているからこその話。

保育園に子どもを預けるなんて・・・これもよく聞くワードですね。

じゃあ、たとえばこれを言っている人の1日の子育て何をしてすごしていたのか、想像してみましょう。

まぁ夫は仕事でいない。これは今も昔もそれほどかわらないですよね。いつの時代も子育てに積極的なパパ、消極的なパパはいますし、人によると思います。

では、3歳まで子どもを自分でみていた人たちは普段子どもとどうかかわっていたのか、想像してみましょう。

例をあげてみますと、例えば、3歳まで自分でみたほうがいいと私が言われた人の中に実母がいます。実際、実母は私を幼稚園に通わせている専業主婦でした。ちなみに私は一人っ子。

でも、この❝自分でみる❞という言葉は多少語弊があると私は思っています。

なぜなら、うちの母は自分の母(私からすると祖母にあたる)と一緒に住んでいて、私のお風呂は0歳のときから祖母が入れてくれていたようだし、掃除や洗濯も手伝ってくれていました。

さらに、私が0歳のときからほぼ毎日のように公園や友だちの家へ行き、ママ友とおしゃべりするのが母の日課だったようです。

この話を聞いて今の私が感じるのは「あー、母は弧育てを知らないんだなぁ」ということ。

コロナ禍の子育ての過酷さ・・・

私が息子を妊娠したとき、ちょうど世の中にコロナという未知の感染症が流行り始めたときでした。

病院の妊婦健診も付き添いはNGだったし、役所で行う赤ちゃんの沐浴指導などのイベントもすべて中止。

出産も立ち合い不可。面会不可。

退院してからもママ友の交流場はなく、ただひたすら夫が帰ってくるまで目を離したら死んでしまいそうな小さな息子と2人きり。

コロナは流行る一方で昔からの友人に会いに行くことも気が引ける。

息子が6カ月くらいになって公園へいってみてもやはりコロナの影響で他の人に話しかけずらいし、気が付けば1日誰とも話さないで終わることが普通に。

唯一話すとしたら、スーパーのレジで袋はいりますか?いりません。というやりとりだけ。なんてことはざらでした。

あの頃、母乳がうまくいかなかったり息子の吐き戻しが多かったり不安なことやたいへんだなーとかんじることを何気なく話して「うちもー」と共感してくれるひとがいたらどれほど救われていたのだろうと今でも考えます。

コロナの制約、3歳神話、いろいろなものに縛られて自信だけがなくなってしまう弧育てー

子育ての理想を掲げる前にママの心が死んでしまわないようにしないといけません。

頼れるものは頼る

保育園が可哀そうというひとはだいたいが幼稚園に預けていた人です。

だから、もしそういわれたら心の中で「あんたは保育園のなにを知っているんだ」と思うようにします。

人は自分と違う生き方をする人を自分より劣っていると思いたいものです。じゃないと自分が正しいと安心できなくなるから。

話はそれますが、私もよく「一人っ子で可哀そう」と言われてきた人間です。だいたいそういうことをいう人は兄弟がいる人です。同じ一人っ子で「可哀そう」といっている人を私は知りませんし私も自分のことを一人っ子だから可哀そうと思ったことはありません。

この「可哀そう」はそもそも誰がきめることなのか。

保育園も同じですよね。保育園なんてかわいそう・・・当事者である子ども本人がそう思うならすぐに保育園を辞めたほうがいいと思いますが、だいたいは外野の言葉です。

ちなみにうちの息子はまだ1歳5か月ですが風邪で保育園を休むときも園バッグをもってきて早くつれてけーとするくらい保育園を楽しんでいるようです。

その子がその環境を楽しんでいるかどうか、ここが重要でありそれが察知できるのはそばにいるママやパパだと思います。

私は息子の姿を見る限り、保育園で可哀そうとは思いません。

大人と話す機会をみつける

「わかるー」「うちもー」「大丈夫」「頑張ってるよ」

そんなささいな言葉こそ弧育て中には欲しいものです。

確かに自分の子は可愛いです。でもまだ会話ができるわけでもないし、ましてや相談や愚痴ることなんてできないし、息子と二人ならヨレヨレの服でもいいか。メイクしなくていいか。髪ぼさぼさでもいいか。とどんどん生活の質が落ちていくことも事実。

コロナが少し収まって児童館のイベントが再開したときに週1で通っていましたが、本当に楽しかった。何が楽しいって大人と話せるのが楽しかった。あっ、このママの服装おしゃれだなとか観察するのも楽しかった。

今は保育園でお迎え時に先生と話すだけでも救われます。

人と話す、共感を得るってこんなに大事だったんだと。

弧育てを頑張らない

私は長年幼稚園で働いていましたが、赤ちゃんは苦手です。はじめは言葉も通じないし何がなんだかわからないことばかり・・・毎日、気を抜いたら死んでしまいそうな我が子と毎日ひたすらご飯とオムツ変えの日々・・・

子育てが楽しいといっている人はきっと子育てをそれほどしてない人に違いない!なんてひねくれてみたり。

でも、ひとりでガムシャラに子育てを頑張って心が病む親より、周囲に恵まれてそれなりに子育てをして涼しい顔をしている親のほうが結局「いい親」っていわれたりする。

だから、自暴自棄になるまえにどうか周囲の「可哀そう」にはむかう勇気を。子どもにとって本当の「可哀そう」は自分の大好きな親が死にそうな顔をしていることだったりするのですから。

私は幼稚園で働いていましたが子育てに自信はありません。

だから頼れるものは頼ります。愚痴ります。助けをもとめます。

それで息子と私が笑ってすごせるなら決して可哀そうではないと思うから。

でも、本当に生きずらい世の中ですね・・・どうやって人とかかわっていけばいいのか。

私も試行錯誤しながらこれからも少しでも読んでくれた人が参考になるお話が書けるよう日々精進したいと思う日でした。

それではまた👋